高校3年間はケガとの闘いの毎日

治療の世界に興味を持ったのは高校の
野球部の故障がキッカケ。
中学時代にマンガ ドカベンで見た
変化球を見よう見まねで投げた結果 肘が・・

そんな状態の中、東京で進学を決めていた
学校を辞退して、15歳からの3年間は
岩手県北上市で寮生活を選択。

当時は精神根性論のスポ根が主流。
うさぎとび や 水分を摂らせない のが当然の
典型的な”巨人の星” 練習状態から、
元々痛みを覚えていた肘から庇った為に
肩・腰・膝をも傷めてしまい・・・

今では社会問題にもなっている
体罰は、部内で当然の日常的。
寮内も同じで 同じ日に部と寮内で
体罰は何度となく体験・・
肉体的・精神的に摩り減っていて
同期部員の人数は、わずかに5名に減。
ケガを理由にしていられる状況などでは・・
そして地方の妬みなのか
東京から来た人間は ひ弱 と揶揄され反発心から
2年の秋の新チームでは副主将となり、
故障箇所を癒やす前にチームを支える立場から、
更なるハードワークで、カラダのケアを優先
させられませんでした。
充実感は一切なく、痛みとの闘いの日々だけ。
カイロプラクティックとの出会い

2年の夏の大会前に大学の野球部から、
練習の手伝い名目で現役選手が応援参加。
体格差は歴然で明らかにカラダの作りが
違い、カラダのケアについて説かれたのが
キッカケで、
メンテナンスの重要性は、いまも鮮明に
記憶しています。
ケアの知識も地方高校球児に比べ豊富で
この時初めて”カイロプラクティック” なる言葉を耳にしました。
冬は寒い地域、カイロと言えばホッカイロしか思い浮かばず・・
この時期は朝から晩まで大会に備え合宿練習漬けの日々と、
メンテナンスを受けられず、ただ日々が過ぎて行くだけで
春・夏・秋の大会・東北の寒く長い冬と時間は経過すれども、
メンテナンスケアに充てる時間は訪れない暗い青春でした。
この報われないツライ時期を過ごし、アタマの片隅にずうっと、
カイロプラクティックと言う言葉が残っていた様に今 思えます。
目指すキッカケ・・・
東北の忍耐苦痛の3年間を終え、大学への進学。
大学でも野球は続けつつ、社会人となり、
北陸で営業車で移動することが日常化。
多くのサラリーマンが辿る運動不足の日々の矢先に、
右の腰に痛みを発症・・・
あの時のカイロプラクティックの言葉への興味、
薄れていた当時の記憶が不意な出来事からフラッシュバック。
学生時代とは違う自由に使える時間を得て、不摂生を悔いて
施術を受ける行動へのキッカケでした。
このキッカケが、
カイロプラクティックの学びへの願望が芽生えたと思える
出来事だったと今記憶しています。
治療家を目指すきっかけ
・もっとカラダのことを知りたい
・自分でもカイロプラクティックをやってみたい
・同じようにカラダで悩んでいる人を助けたい
・ありがとうと言われる仕事がしたい
と 言う おこがましい想いを強く持ち始めていた時で、
募る想い、自身が経験した高校時代のひとりで抱える痛みと不安
つらく長い時間だったことが、
人の体に触れ、カラダで悩んでいる方の不安を少しでも軽くしてあげたいという、
治療家の世界のドアをたたく決心へと突き動かしました。
仕事と学業の両立の難しさ、

高校時代の鮮烈な記憶だったことから
カイロプラクティックを学べる理由から、
大川カイロプラクティック専門学院に入学し
猛スピードで時間が流れました。
仕事は継続していましたので、
週末カイロプラクティックを学ぶ時間に充て、
必修科目と実技をひたすら習得の日々。
野球部時代のがむしゃらさが思い出されます!
学ぶ楽しさ、
仕事では 年4回の繁忙期になれば深夜を
回ってもでも職場を離れられないことが多々発生。
年末はクリスマス・忘年会を楽しむ言動は禁句。
学業でも毎回の座学の後に行われる筆記テストに合わせ
年に4回ある筆記テストと実技テストが重なると、
アタマもカラダも余裕が無くなり始め 両立が
とても苦しい時期が何度も思い出されましたが、
支えたのは、10~20代の頃とは違う 学ぶ
目的意識がまったく違い 楽しみだったこと。
(この体験を学生時代に得られていたのならば
ボクはもっと違う人生を送っていたと後悔)
肉体的な疲労はあるものの、精神的な負担はそれほど
感じることもなく、
とても充実な時でした。
開業~現在に至る想い

もがきながら学校の単位取得を果たし、
在学中のインターン先で、卒業後も現場経験を
積ませていただき、
2009年に渋谷区の神泉町に開業。
現在は、より多くの世代の方々に施術を
受けていただけるように、
からだに負担の少ない施術方法 も取り入れ、
ご年配の方はもちろん お子様・妊婦さんにも
対応する日々を送っています。
今も、少しずつ理想とする院作りに奮闘中で
目標を大きく持ち、理想と現実をマッチさせる様に
努力を忘れずに 開院時からの想いである、
・誠実に1人1人に真剣に接する気持ちを忘れない
・お悩みの解決に努める
・その方が笑顔で趣味やお仕事に就ける様に貢献する
理想の整体院を追い求め、努力を続けること、学び続けることを、
心に刻み毎日お越し下さる皆様の期待に添えるように施術に懸命に励み
現在は、カイロプラクティックの基礎知識を元にさらに負担の少ない、
施術方法を用い来院される、皆様のお悩みに向き合っています。
これからも努力を重ねて多くの方々のお悩みに対して
誠実に向き合っていきたと想います。
お電話ありがとうございます、
神泉カイロプラクティック いわもと整体院でございます。